保育原理


○コメニウス

 近代教育学の父と呼ばれる。代表的な教育思想家。

 たび重なる宗教的迫害に遭いながら新教(プロテスタント)の

 牧師として、民族解放運動を戦いつつ人類愛に基づく世界平和実現を

 志向する教育に邁進した。  著書には

 「大教授学」・・すべてのひとにすべてのことを教えるための教授法。

 「世界図絵」・・世界最初の絵入りの教科書。

 などがある。


ルソー
  
  スイスの思想家。子ども中心主義の教育理念を追求した。

 「教育の最大の秘訣は教育しないこにある」との立場から子どもの
 
  個性の自由な伸張を目指す教育主張した。

  著書「エミール」においても消極的教育を主張した。
 


自由保育

 保育者が中心となって指導する保育ではなく、子どもの意志に基づき

 自発的、主体的な活動を尊重する保育形態のこと。

 自発性を引き出し、誘導していく保育者の適切な助言や自主活動が

 盛んにできるような保育環境の整備などが必要である。

 放任ではなく子ども達を信頼してまかせる保育である。

設定保育

 保育者が指導の中心となりる保育形態。

 意図やねらいを全面に打ち出し、指導の形態に従ってクラス全体に

 徹底させる。

 保育者は子どもの興味の方向や発達段階をよく理解し指導する必要

 がある。家庭や自由保育では経験できない集団ならではの貴重な

 体験を子どもに提供するといえる。

○学校教育法、児童福祉法などの法律によらない保育施設。

 保育所の不足から出来たもので一般に無認可保育所などと

 呼んでいる。

家庭保育制度

 保育所不足の場合などに適当な家庭を指名し少人数ずつの乳幼児の

 昼間保育を受託させる制度。

 「保育ママ」「昼間里親」「家庭福祉員制度」などの名称がある。



保育日数

 ・幼稚園の教育週数は特別の事情がある場合を除き39週を下がっては

  ならないと規定されている。

 ・保育所は保育に欠ける乳幼児を日々保育するという目的から長期の休み

  などはない。

クラス編成

 ・保育所は児童福祉施設最低基準による、保育士1人の受け持つ

  おおむねの数は、乳児は3人、1〜2歳児は6人、3歳児は20人

  4歳以上は30人となっている。

  また乳児保育を実施する保育所では乳児保育に経験を有する保育士を

  1人配置することが定められている。

  

保育所と幼稚園の相違

      幼稚園          保育園

法律    学校教育法       児童福祉法

基準    幼稚園設置基準     児童福祉施設最低基準

指針    幼稚園教育要領     保育所保育指針

職員    幼稚園教諭       保育士


幼稚園は義務制ではないので入園させたい保護者が入れ、保護者と園

の間は自由契約である。

保育所はこれまで入所できるのは市町村において保育にかけると

みとめられた措置児童で入所地域も市町村が決定し公費から

措置費を保育所に交付されていた。

平成10年からは保護者が入所を自由に選択できるようになり

措置」という言葉が「保育の実施」などに変更になった。
保育士とは

 児童福祉施設で児童の保育に従事するもの。昭和52年に男性保育者が

 認められる。

 資格は ・厚生大臣指定の2年以上の学校卒業者
     
     ・都道府県で年々行われる保育士試験合格者

児童福祉支援施設の種類

1)助産施設  2)乳児院  3)母子生活支援施設

4)保育所   5)児童厚生施設  6)児童養護施設

7)知的障害児施設   8)知的障害児通園施設

9)盲ろうあ児施設   10)肢体不自由児施設

11)重症心身障害児施設   12)情緒障害児短期治療施設

13)児童自立支援施設(児童家庭支援センター)



○イギリス人。1816年、工場内保育所(性格形成新学院)を設立。

 産業革命の最中、家庭崩壊などにより犠牲になった子どもたちの

 生活は退廃した。子ども達への深い人間愛と、人道主義の立場から

 オーエンは自分の経営するニューラナークの紡績工場に

 「性格形成学院」を開設し、学院の第一段階にあたる

 「幼児学校」で1歳から5歳までの幼児を教育した。

 この施設がイギリスの「幼児学校運動」の口火となり

 イギリス全土に普及した。

 彼はよき性格はよき環境の中で形成されるという「環境教育論」を

 主張した。

二葉幼稚園

 明治33年、野口幽香、斉藤峰の2人により

 東京のスラム街に設立される。大正4年に二葉幼稚園と改称する。

子守学校

 明治16年、渡辺嘉重が茨城県に開設。

 下の子の子守のために小学校に通学できない児童のための学校。

 簡易な普通教育を行い乳幼児の保育設備も備えた。

 
 

東京女子師範学校付属幼稚園
 
 フレーベル主義による最初の官立幼稚園。

 中村正直、関信三、松野クララ らにより明治9年に開設。

 振袖保育ともよばれた。

守弧扶独幼稚園児保育会

 赤沢鐘美夫妻により明治23年、赤沢家静修学校に通う

 貧困児童を別室で妻が保育したことに始まる。

 常設保育所の最初と言われる。

季節保育所

 明治23年、筧雄平が鳥取県に開いたのが最初とされる。

 農繁期間中だけ乳幼児を預けて保育する臨時の施設。
 
石井十次

 岡山孤児院を設立し濃尾大地震での多数の孤児を収容した。

 明治24年には大阪のスラム街に愛染保育所を設立した。

石井亮一
 
 滝野川学園を開設。日本はじめての精神薄弱児施設となる。

留岡幸助

 明治23年、東京巣鴨に家庭学校を設立。

 不良少年感化のための施設となった。